2010年3月12日金曜日

「沈黙の朗読」公演の余波/皆さん、素敵に若返ってね

 今回の公演の余波がじわじわとやってきている。なぜか頭から離れない。
 自分自身は出演する側だったので、観客として観てはいない。どのように見えていたのかは、ビデオの記録映像で上澄みをわずかに確認できる程度なのだが、それとは別に終わってからなにやらゆっくり大きなインパクトがやってきた感じがしている。
 再演を望む声があって、それはこれまでの公演でも何度かあったのだが、「沈黙の朗読」に関してはこれまでとはなにか違う感じがしている。
「沈黙」と「朗読」について、もう少し考えてみたくなっている。

 今回は長年セッションを続けて、いわば気心が知れている榊原忠美氏とのセッションだったが、彼以外のパフォーマーとやることは可能だろうか。
 例えば今回も、オープニングアクトといいながらもほとんど全体の作品の一部として提示される形になった菊地裕貴の「Bird Song」。彼女も「沈黙の朗読」のパフォーマーとして存在していたと考えられる。
 そう考えると、現代朗読協会の仲間たちによる「沈黙の朗読」も可能だろう。
 今回のテキストは、今回のために書きおろした「記憶が光速を超えるとき」だったが、例えば「沈黙の朗読 - Bird Song - 」でもやれるかもしれないし、また「沈黙の朗読 - 祈る人 - 」というものもありうるかもしれない。

 いずれにしても、「沈黙の朗読」をおこなう朗読者は、パフォーマーとしてのある一定の資質を要求されることはまちがいない。
 とはいえ、「いまいる自分以上のなにかすばらしい身体性を持ったスーパーマン」になってほしいといっているわけではない。いま以上に障壁のない自分自身であること、本来ある感受性と身体性を取りもどしつつある自分自身であること、そのことを日々考えてほしい、ということだ。
 わかりやすくいえば、
「皆さん、素敵に若返ってね」

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